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こんにちは。
ChatGPTを一度は使ったことがある人も多いと思います。
会社でも使用OKになっているところが多いですよね。
情報漏洩などセキュリティの問題はありますが、
使用することによるスピードアップなど
ビジネスの加速・生産性アップに
つながればいいですよね。
今回は、生成AIについて、お話しようと思います。
AIが間違うのは「発見」の切り口に欠けている?
ChatGPTは、質問の仕方次第で大学教授になったり、
小学三年生のレベルになったりもします。
使っている人はもうご存じだと思うのですが、
生成AIの特徴として、無難な優等生を目指しているように感じます。
致命的なのは、「新発見」に乏しいところです。
「問い」の仕方では、次のような回答が返ってくることがあります。
ChatGPT:
GPT-4は、2021年9月までの情報を学習しています。
それ以降の特定のイベント、発見、製品、人々などの詳細な情報は持っていません。
どうやら「新しい切り口」で文章を書くことは、現時点では難しそうです。
文章は「コンテクスト」が大事
国語辞典の編纂のために熱い情熱を「言葉」に
捧げるキャラクターたちの人間描写が心を打つ見事な作品です。
辞書には編纂者がいて、専門家の先生が、
その言葉の意味と用法を一生懸命に調べて、
分かりやすい解釈をつけています。
一つひとつの単語にも意味はあります。
単語が次々と「編まれてゆく」と
コンテクスト(文脈)になります。
そのとき、私たちはコンテクストから、
物事の背景や意図、情緒などを「既知」の
体験を土台にくみ取っているわけです。
一方、ChatGPTは整然とし過ぎて、
機械的にロジック優先で列挙しているので、
不自然な感覚を覚えるのです。
意味と無意味
知覚の現象学研究で有名な
モーリス・メルロー=ポンティ氏の著書
『意味と無意味』では、「後づけの知性」について面白い考察をしています。
たとえば、モノが近くに見える/遠くに見える
ということを、私たちは本当に感じているのか?
後づけの知性がそう知覚させているだけではないか?
つまり、「感覚」と「知性」は分けられないものである、
というのが彼の主張です。
文章に置き換えて考えてみましょう。
私たちは、文章はこうあるべき(トップダウン)と
思い込んでいるため、「初めての文章」に触れる場合、
感覚や体験というボトムアップ情報を頼りにします。
平坦に単語が並ぶ傾向のあるAI文章は
抽象度が高い(知性優位)状態です。
しかし「感覚」がひらくと、一変して具体思考になるのです。
自分の体験や経験、五感が優位に働いている状態で読むので、
AI文章のコンテクストは「なんかおかしいな?」と感じてしまいます。
私たちは、AIがトップダウンで生成した文章を
ボトムアップで読んでいるので、ごくごく自然に「違和感」に気づくのです。
いかがでしたでしょうか?
皆様のお役に立てれば幸いです。